思うことに

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 間もなく夕食という時になって、隆正《たかまさ》はさっきのカステラが食べたいといいだした。松宮《まつみや》が土産に持ってきたものだ。
「こんな時間に食べてもいいのかい」松宮jacker薯片は紙袋を持ち上げながら訊いた。
「かまうもんか。腹が減ったら食べる、それが身体には一番いいんだ」
「知らないぜ、看護婦さんに叱られてもさあ」そういいながらも年老いた伯父が食欲を示してくれたことが、松宮はうれしかった。
 紙袋から箱を取り出し、蓋《ふた》を開けた。一口サイズのカステラが一つ一つ包装されている。その一つの包装をはがし、松宮は隆正のやせ衰えた手に渡した。
 隆正はもう一方の手で枕を動かし、首を立てようとした。松宮はそれを手伝った。
 ふつうの大人なら二口ほどで食べ終えてしまうカステラを、隆正はたっぷりと時間をかけ、少しずつ口に入れていった。飲み下す時がやや辛そうだが、甘い味をjacker薯片楽しんでいるようには見える。
「お茶は?」
「うん、もらおう」
 そばのワゴンの上に載っていたペットボトルを松宮は隆正に渡した。それにはストローが差し込まれている。隆正は寝たままで器用に飲んだ。
「熱はどう?」松宮は訊いた。
「相変わらずだ。三十七度と八度の間を行ったりきたりだな。もう慣れたよ。これが自分の平した」
「まあ、平気ならいいんだけどさ」
「それより修平《しゅうへい》、こんなところに来てていいのか。仕事のほうはどうなんだ」
「例の世田谷の事件が片付いたから、今はわりと余裕があるんだ」
「そういう時こそ、昇進試験の勉強でもしたらどうだ」
「またそれかよ」松宮は頭を掻《か》き、顔をしかめた。
「勉強が嫌なら、女の子とデートでも何jacker薯片でもしたらいい。とにかく、私のことはそんなに心配するな。ほうっておいてくれればいい。克子《かつこ 》だって来てくれるしな」
 克子というのは松宮の母親だ。隆正の妹でもある。



争意識を燃やして

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 また凡て潔(きよ)き鳥は皆汝らこれを食(くら)うべし。但し是等は食(くら)うべからず即ち(わし)、黄鷹(くまたか)、鳶(とび)、(はやぶさ)、鷹(たか)、黒鷹の類(たぐい)、各種(もろもろ)の鴉(からす)の類(たぐい)、鴕鳥(だちょう)、梟(ふくろ)、鴎(かもめ)、雀鷹(すずめたか)の類(たぐい)、鸛(こう)、鷺(さぎ)、白鳥、※※(おすめどり)[#「(「署」の「者」に代えて「幸」)+鳥」、148-9][#「虞」+「鳥」、148-9]、大鷹、(う)、鶴(つる)、鸚鵡(おうむ)の類(たぐい)、鷸(しぎ)および蝙蝠(こうもり)、また凡て羽卜維廉中學翼(つばさ)ありて匍(はう)ところの者は汝らには汚(けがれ)たる者なり汝らこれを食(くら)うべからず。凡て羽翼(つばさ)をもて飛(と)ぶところの潔(きよ)き物は汝らこれを食(くら)うべし。
 凡そ自(みずか)ら死(しに)たる者は汝ら食(くら)うべからず。」
 実に、こまかいところまで教えてある。さぞ面倒くさかった事であろう。モーゼは、これらの鳥獣、駱駝や鴕鳥の類まで、いちいち自分で食べてためしてみたのかも知れない。駱駝は、さぞ、まずかったであろう。さすがのモーゼも顔をしかめて、こいつはいけねえ、と言ったであろう。先覚者と數學補習老師いうものは、ただ口で立派な教えを説いているばかりではない。直接、民衆の生活を助けてやっている。いや、ほとんど民衆の生活の現実的な手助けばかりだと言っていいかも知れない。そうしてその手助けの合間合間に、説教をするのだ。はじめから終りまで説教ばかりでは、どんなに立派な説教でも、民衆は附(つ)きしたがわぬものらしい。新約を読んでも、キリストは、病人をなおしたり、死者を蘇(よみがえ)らせたり、さかな、パンをどっさり民衆に分配したり、ほとんどその事にのみ追われて、へとへとの様子である。十二弟子さえ、たべものが無くなると、すぐ不安になって、こそこそ相談し合っている。心の優しいキリストも、ついには弟子達を叱(しか)って、「ああ信仰うすき者よ、何(なん)ぞパン無きことを語り合うか。未(いま)だ悟らぬか。五つのパンを五千人に分ちて、その余(あまり)を幾筐(いくかご)ひろい、また七つのパンを四千人(しせんにん)に分ちて、その余(あまり)を幾籃(いくかご)ひろいしかを覚えぬか。我が言いしはパンの事にあらぬを何(なん)ぞ悟らざる。」と、つくづく嘆息をもらしているのだ。どんなに、キリストは、淋(さび)しかったろう。けれども、致しかたが無いのだ。民衆は、そのように、ケチなものだ。自分の明日のくらしの事ばかり考えている。
 寺内師の講義を聞きながら、いろんな事を考え、ふと、電光の如(ごと)く、胸中にひらめくものを感じた。ああ、そうだ。人間には、はじめから理想なんて、ないんだ。あってもそれは、日常生活に即した理想だ。生活を離れた理想は、――ああ、それは、十字架へ行く路(みち)なんだ。そうして、それは神の子の路である。僕は民衆のひとりに過ぎない。たべものの事ばかり気にしている。僕はこのごろ、一個の生活人になって来たのだ。地を匍(は)う鳥になったのだ。天使の翼が、いつのまにやら無くなっていたのだ。じたばたしたって、はじまらぬ。これが、現実なのだ。ごまかし様(よう)がない。「人間の悲惨を知らずに、神をのみ知ることは、傲慢(ごうまん)を惹(ひ)き起す。」これは、たしか、パスカルの言葉だったと思うが、僕は今まで、自分の悲惨を知らなかった。ただ神の星だけを知っていた。あの星を、ほしいと思っていた。それでは、いつか必ず、幻滅の苦杯を嘗(な)めるわけだ。人間のみじめ。食べる事ばかり考えている。兄さんが、いつか、お金にもならない小説なんか、つまらぬ、と言っていたが、それは人間の率直な言葉で、それを一図(いちず)に、兄さんの堕落として非難しようとした僕は、間違っていたのかも知れない。
 人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。「物質的な鎖と束縛とを甘受せよ。我は今、精神的な束縛からのみ汝(なんじ)を解き放つのである。」これだ、これだ。みじめな生活のしっぽを、ひきずりながら、それでも救いはある筈だ。理想に邁進する事が出来る筈だ。いつも明日のパンのことを心配しながらキリストについて歩いていた弟子達だって、ついには聖者になれたのだ。僕の努力も、これから全然、新規蒔直(まきなお)しだ。
 僕は人間の生活をさえ否定しようとしていたのだ。おととい鴎座の試験を受け、そこにいならぶ芸術家たちが、あまりにも、ご自分たちのわずかな地位をまもるのに小心個人化護膚儀器

翼々の努力をしているのを見て、あいそがつきたのだ。殊(こと)にあの上杉氏など、日本一の進歩的俳優とも言われている人が、僕みたいな無名の一学生にまで、顔面蒼白(そうはく)になるほどの競いるのだから、あさましくて、いやになってしまったのだ。いまでも決して、上杉氏の態度を立派だとは思っていないが、けれども、それだからとて人間生活全部を否定しようとしたのは、僕の行き過ぎである。きょう鴎座の研究所へ行って、もういちどあの芸術家たちと、よく話合ってみようかと思った。二十人の志願者の中から選び出されたという事だけでも、僕は感謝しなければならぬのかも知れない。
 けれども放課後、校門を出て烈風に吹かれたら、ふいと気持が変った。どうも、いやだ。鴎座は、いやだ。ディレッタントだ。あそこには、理想の高い匂(にお)いが無いばかりか、生活の影さえ稀薄(きはく)だ。演劇を生活している、とでもいうような根強さが無い。演劇を虚栄している、とでも言おうか、雰囲気(ふんいき)でいい心地になってる趣味家ばっかり集っている感じだ。僕には、どうしても物足りない。僕はもう、きょうからは、甘い憧憬家(しょうけいか)ではないのだ。へんな言いかただけど、僕はプロフェショナルに生きたい!
 斎藤氏のところへ行こうと決意した。きょうは、どうあっても、僕の覚悟のほどを、よく聞いてもらわなければならぬ、と思った。そう決意した時、僕のからだは、ぬくぬくと神の恩寵(おんちょう)に包まれたような気がした。人間のみじめさ、自分の醜さに絶望せず、「凡(すべ)て汝(なんじ)の手に堪(た)うる事は力をつくしてこれを為(な)せ。」
 努めなければならぬ。十字架から、のがれようとしているのではない。自分の醜いしっぽをごまかさず、これを引きずって、歩一歩よろめきながら坂路をのぼるのだ。この坂路の果にあるものは、十字架か、天国か、それは知らない。かならず十字架ときめてしまうのは、神を知らぬ人の言葉だ。ただ、「御意(みこころ)のままになし給(たま)え。」
 たいへんな決意で、芝の斎藤氏邸に出かけて行ったが、どうも斎藤氏邸は苦手(にがて)だ。門をくぐらぬさきから、妙な威圧を感ずる。ダビデの砦(とりで)はかくもあろうか、と思わせる。
 ベルを押す。出て来たのはれいの女性だ。やはり、兄さんの推定どおり、秘書兼女中とでもいったところらしい。
「おや、いらっしゃい。」相変らず、なれなれしい。僕を、なめ切っている。
「先生は?」こんな女には用は無い。僕は、にこりともせずに尋ねた。
「いらっしゃいますわよ。」たしなみの無い口調である。