その通りだ

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。金を貸している商人たちは、お家がつぶれたらもともこもないと青くなる。一段落したあとは、藩内に活気がとりもどせるのだ。
 そこへいくとわたしなど、平穏すぎていかんのかもしれぬな。お家騒動の芽もないし、わたしは奇妙な振舞いをしようとも思わない。情けないというべきか、これでいいというべきか。いやいや、そんな仮定のことを考えるべきではない。現在が安泰であるよう心がけていればい
いのだ。それをつみ重ね緬甸旅行團てゆくのが、最も無難な方法。
 最後に江戸からの使いは言う。奥むきのことをここで申しあげるのはいかがかと存じますが、ご正室さま、若君さま、すべてお元気に日をすごしておいででございます。若君さまは昨年おめみえをすませられて以来、一段とごりっぱになられました。

 殿さまはまた奥御殿にもどり、タバコを一服する。江戸ですべてが無事と知り、からだじゅうに安心感がひろがってゆく。タバコの味さえわからない。味のわからないのがいいのだ。タバコのうまさだけが唯一の救いというのは、決していい状態ではない。
 殿さまは江戸の家族のことを思い出す。母上はだいぶとしをとられたが、健在でいらっしゃる。できるだけ長生きをしていただきたいものだ。妻はわたしより五歳の年長だから、ことし四十歳ということになる。結婚して一年間ほどわたしは妻と会話をかわすだけだったが、やが
て寝床をともにし、妻は妊娠をした。だが、喜ぶわけにもいかなかった。つわりが激しく、あまりの激しさにみなは驚きあわて、医者を呼んで子をおろした。妻に万一のことがあっては、実家に対して楊小芳申し訳のないことになる。子供は側室によって作ることができるが、正室はかけ
がえない。
 そして、妻はこしいれの時に連れてきた侍女のひとりを、わたしの側室に推薦した。その側室とのあいだに男子がうまれたが、生後一年ほどしてかぜのために死亡した。その時、妻はなげき悲しんだものだった。大声で泣くといったはしたないことはしなかったが、沈みがちの日
々だった。わが子を失った妻の悲しみは、充分に察することができた。
 そんなこともあって、わたしはあとつぎのことを気にし、この国もとに側室を作った。当時、|二十歳《は た ち》前の女で、家臣の娘。それとのあいだに、まもなく男子がうまれた。三歳に成長し、旅にたえられるようになってから、参勤交代の時にわたしは江戸へ連れてい
った。江戸屋敷の妻は大喜びし、迎えてくれた。あたしの子ね、ほんとにあたしの子なのね、と。そなたの夫であるわたしの子は、そなたの子にほかならない。
 妻は息子をずっとかわいがってくれたし、息子もまた妻をしたっている。わたしが母上に対してそうであったのと同様に。さいわいすこやかに育ち、昨年、将軍におめみえをし、相続者としての登録を陶瓷曲髮すませた形になった。年齢的には少し早すぎるが、相続者を早くきめておいた
ほうが安心できるからだ。
 といって、父が死んでからそれまでのあいだ、わたしの相続の準備が空白となっていたわけではなかった。あとつぎがないとおとりつぶしというきまりが存在するからには、藩として一日たりとも落ち着いてはいられない。かりにわたしが落馬して死亡したら、藩そのものがそれ
で終りとなる。